沼津に行くことについて語るときに僕の語ること

 三島に入ったあたりでひょっこりと顔を出したのは紛れもない富士山である。

 (え、あれって富士山?)と思っている間に、車窓から見えるそれはいかにも存在感を増していく。見間違えるはずもないし、疑問に思う余地だってない。それは多くの画面や雑誌の表紙を飾ってきた。温泉のモチーフとなり、地方の山という山をかたなしにしてきた存在。(あれが富士山か)と、私は思う。

 いささか不意の登場だったので、その存在を自分の身に馴染ませるのに時間がかかった。なんてったって沼津行きの電車が来るまで熱海の足湯につかりながら、富士山の方角を夢心地に見つめていたのだから。誰かが言っていたことだけど、やはり富士山というのは日本人の心に住み着いているのだ。天気は快晴。言うことなし。

 それがこうもひょっこり出てこられると、会ったこともない親友に話しかけられたみたいだった。「よう、元気か?」肩をぽんと叩く。そこには気取った様子も、化粧っ気もない。彼はただ自然に、自分を待っていた旅人を歓迎するように顔を見せていた。「おー、お前が富士山かぁ」私は微笑む。沼津行きの電車は後ろ向きに進み、その姿は民家に隠れ、ホテルが遮り、愛鷹山の懐に入り込む。それでも白い顔だけは青空の元にさらけ出されている。まったく富士山を眺めながら営める生活というのはどんなものなんだろう? それはある意味、二つの故郷を手に入れたみたいな感じなのだろうか。

 

 文章というのはどこまでいっても個人的なものだから――それをするのはたやすいことではないとしても――とっとと見たもの聞いたものをレポートしてしまって、自分の中で呑み込んでしまいたいんだけど、少し四月から五月の自分の生活を振り返る。沼津に行くなんて選択肢は、この一カ月がなければ生まれてこないものであっただろうから。

 山形は窮屈な監獄のような場所である(というのは、個人的な青春時代の失速あっての物言いである。もちろん)。そういった物言いを続ければ福島はただっぴろいドック・ラン場だ。震災云々は関係ない。川辺の景色は美しいものだし、多くの花々が軒並みに咲き誇っている。復興がメインになってしまった故に薄れてはいるが、元のコンセプトは『うつくしま』なのだ。福島の至る場所でその名残を見つけることができる。あぁ、そうかとあなたは思うかもしれない。ここは東北の入り口であり出口なのだと。

 ただどうしようもなくむかむかとする気分になるのは、ここが三百六十度山に囲まれていることだ。上り下りどちらの電車に乗っても、いやったらしいくらい山が追いかけてくる。山形でもそうだった。でも、山形はまだ都会に追いつこうという気合が見られた。古い店は壁を塗り直し、新しい店の進出に負けまいとしている。天童では大型のショッピングオールができ(まぁ、イオンなんだけど。それでも中に在る店は比較的新しい)、山形駅から自転車で行ける範囲で多くの店が活発に回っている。新店舗と、古くからあるチェーン店が何のかんのと競い合いながら経営している。

だが、福島にはそれがない。もちろん復興で忙しいのはわかるけど、これじゃあ人口減少も嘆けないだろうと思う。福島駅すぐの飲み屋の多さにはうんざりする。まともな本屋一つない。CDショップともなるとなおさらだ。

 ここに流れるのは山を越えたタフな風だ。生温かく、吸い込むと変わりつつある花の香りを知ることができる。でも違うんだと、私は思う。思いっきり吸いたいのはこういう風じゃないんだ。もっとクリアで、もっと生まれたばかりの新鮮な風なんだと。

 この一か月半の間インターネットというものがなく(まぁこれには色々な事情がある)、私はずっとSSを書いていた。SSなんてくだらないし、そんなものを書いている人間なんてもっとひどい。オタクの中で最も気持ち悪い人種だと思っている。だって絵を描けないんだぜ? そのくせ自己表現の塊を抱え、そのくせオリジナルに移行しない。地の文なんて書いている人間はなおさらどうしようもない。それで誰かと繋がれるコミュニケーションの持ち主ならいいけど、私に関してはその可能性は壊滅的にないし、そうなるとコミケなんかで本にすることも出来ないわけだ。いったい何してんだろうと思う。二次創作、気味の悪い自己投影、思春期みたいな自己承認欲求……。やれやれ、と私は思う。いつになったら大人になれるんだろう?

 だけど、その一か月の間に書いた『It never entered my mind』で何だか少し自分を肯定してもいいんじゃないかと思うようになった。やはりところどころ文章がおかしくなる。それを訂正できる力もない。それでも、ここ最近の中では書きたいという気持ちが一番スムーズに乗ったと思う。上手くかけたときは、心の中がすっと軽くなる。その気持ちが今回は大きかった。そして何より良かったと思うのが――これを書いている間にすごく沼津に行きたくなったということだ。それはインターネットをやらなかったおかげもあるかもしれない。あぁも写真写真、楽しい楽しいが流れてくると(まぁ行くとしても俺は一人だしな)ってなってしまう。でもこのSSは書き終ったら沼津に行くぞという気持ちだけで最後まで書き切った。そこにある景色がひどく恋しくなった。それは想像の中に在る場所であり、実際に存在する場所でもあるのだ。そして迎えるGW

そりゃあ行くさ。一人旅の武器は何よりもフットワークが軽いことである。

 

 もちろん、海辺の町には海辺の町なりの、富士山が見える住宅街には富士山が見えるなりの閉塞感があるのだろう。でも、沼津港で感じた解放感はどこにもないただ一つのものだった。

 トンビが気持ち良さげに回っている。ここのトンビは本当に気持ち良さそうに空を旋回する。港には古びたボートが浮かび、祝日の陽気を浴びて眠っている。スピーカーからは遊覧船の宣伝をするお婆さんの茶目っ気のある声。ユーモアはない。ただ使い慣れた文句を言う中にも温厚な響きがある。たまに「あっ、大人二枚と~子供が~?」なんて声が漏れ出してくる。夫(かどうかわからないけど)はクルージング『ちとせ』を手繰り寄せ、踏み台を用意する。いかにも海で育った健康的な男の筋肉と肌色だ。ベンチに座るカップル。アイスクリームを一人で食べるおっさん。煙草の煙。子供が船を指差し、親に向かってその感動を表そうとする。まぁ、ただ、笑顔で何もかも伝わってくる。

 遊覧船に行くとお婆さんはあまり気乗りしないような顔で座っている。「これって富士山が見えるんですか?」そう聞くと、お婆さんは椅子に座ったまま首を振る。

 「午後はダメ。雲がかかっちゃうから」

 「そうなんですか?」

 「午前に来ればよかった。午後はね、雲がかかっちゃうんだ」

 そのうちにその夫らしき人も来る。

 「午後は大抵雲がかかっちゃうんだよね~。午前はすごくよく見えていたんだけど」

 売る気があるのかないのかわからないことを言う。「でも、気持ちいもんですか?」と聞くと、二人ともにっこり笑って「気持ちいいよ~」とお墨付きをくれる。お金を払う。千と百円(だったかな)。

 まぁ、お婆さんがあんな感じだったし、富士山も雲がかっていると言われれば大したこともないだろうと乗ってみると――まったく予想外の気持ち良さである。

 まず富士山は首の辺りに雲はかかってはいるが、頭だけは出している。天気は快晴のまま、その部分だけが雲にとりつかれたように漂っている。まるで富士山そのものがそうした形の雲を呼びこんだみたいで、なかなか面白い眺めだった。それにかもめ――。かもめに餌を与えながらこの船は回るのだが、その数は笑ってしまうほど多い。かっぱえびせんを買った乗客が「どうしたらいいんだろう?」という顔をしている間に、従業員がばらばらっと海にそれを撒く。船が出向してまもなくするとその匂いに釣られ、一気にカモメがどこからともなくやってくる。クワァクワァなんて聞こえたときには船尾にぴたりと大群が張り付いている。彼らと富士山のコンビもばっちりカメラに収められるし、手渡しできるくらい近づいてくる。そんなことに夢中になっている間に船主が「あちらは淡島。ラブライブ! サンシャイン!!の舞台ともなっている島で……」なんてことも宣伝していたりする。

 風は少し冷たいくらいに吹く。生まれたばかりの風。この手に感じられる風。海はきらきらと光って、どこまでも続く水平線を眺めることができる。船の中ではかっぱえびせんを食べたお爺さんを見て、娘が笑っている。「どうしてたべちゃうの~?」お爺さんは恥ずかし気に、でも笑わせてやったぞという誇りを含んだ笑みを溢している。母親はそれにつられて笑う。高価なカメラ。疲れたように座るご婦人。同じように一人で乗り、潮風を浴びている青年。

 船が戻ると釣部にいる子供たちが手を振る。一人離れたところで釣り糸を垂らす渋いオジサンは「けっ、何が遊覧船だよ」とのごとくこちらを見ない。ただ釣りという行為に身を寄せている。船が戻る。地上に降りるのがずいぶん久しぶりに感じる。太陽の温かみ、それから雑多な人の声……。

 思うのだけど良い港の条件って子供の笑い声が響いていること、現役を言い張る漁師がいること、海に憧れる青年(海を嫌う青年も)がいること、それから少なからず観光客が訪れる場所であることだ。ここはそれらを満たしているんじゃないかな。知らないけど。

 

 ラブライブ! サンシャイン!!好きにとって沼津が面白くないはずがない。何と言ったって、至る所に彼女らのポスターやらパネルやら声優のコメント付きサイン、グッズなんかが売られているのだから。

世の中には「いや、俺は面白かったけど、あなたがどう思うか知らないよ」という聖地、観光地があるわけだけど(例えば鳥取砂丘とか)、沼津に限ってはそんな心配はいらないだろう。自信をもっていい場所だったと言い切ることができる。ここにいると彼女らのキャラクター性がしっくり来るのだ。あぁ、確かにここで生まれてここで育まれていそうだなと。この場所合って、Aqoursは生まれたんだなと。

 でも、こういうのって地元の人はどう思っているのだろう? 先ほどの渋いオジサン釣り人のように「けっ、やわな町になったもんだぜ……」とか、オタクだけどサンシャイン好きじゃないオタクにしてみれば(私たちが三次元のアイドル好きと誤解されるようなものである)本当にやめてくれないかな……と思っているかもしれない。でも、見たところ誰もがそれを心地よく受け入れているような気がした。沼津に来て一番うれしかったことは、サンシャインをより好きになれたということだ。多くの人がその存在を知っている。多くの人が受け入れ、ばんばんサンシャイン関係の宣伝をしてくれている。

ヌーマーズに行った際、子供が親のところに駆けて行ってみてみてと言わんばかりに袋を掲げていた。「何を買ったの?」「えっとねー、千歌ちゃんの……」。こういうのを見ると、あぁ、良いアニメを好きになったんだなぁと思う。まぁ、こういうのはオタク以外の人が見たらなかなか気持ち悪いと思うのかもしれないけど。

ところで、もしあなたがオタクを指差して「あの人は犯罪者です、異常者です」と叫びたいとき、一番簡単な見分け方はその髪型を見ることである。オタクにもいろいろいる。服装に気を使っているものもいるし、持ち物の人によってばらばらだ。グループで行動する者もいるし、私みたいに一人で来ているものもいる。知識の浅い者、深い者、グループに女が混ざっている者もいる(特に男の方が高身長でスマートな格好をしているときは、もう会話を盗み聞くしかない)。だからオタクの絶対的な外見的特徴を言い当てるのは難しいが、ただ一つ、生まれたときのままの髪型をキープしている者。前髪は眉にかからない程度で、整髪剤も使っていないような髪型――これはもう完全にオタクである。小太りで、眼鏡なんかもしていたら尚更だ。オタクは匂いでわかるというけれど、別に近づく必要もなく、この髪型をしていれば一目でそれとわかる。仲間よ、と私は心の中で呟く。やっぱりオタクはキョンみたいな髪型が一番だよな

話を戻そう。

 沼津港にある深海水族館。これはもう何といったって最高にムーディーな水族館である。行って損はないし、もう一度行きたいと思った水族館だった。それ以上に説明のしようがない。ただ、深海には何かもの悲しい恋を連想させるものがある。甘く、心の通い合った恋。けれど光は届かない。愛し合い、満たされ合っている。けれど声も届かない。そのうち彼らは不思議な微笑を得ることになる。その二人にしかわからない微笑。

 水族館を出て光を浴びると、また回りたいなぁと思う。シーラカンスもメンダコも良かった。ヒカリキンメダイが作る深海のプラネタリウム。でもそれ以上にあの雰囲気、あの空間。身に染みる場所である。

 

 沼津港に行って食べた魚の話をしないというのは東北に住みながらラーメンを食べないのと同じくらいの罪悪である。

 まず丸勘で食べた三食丼。ここは丸と付いているだけあって(だけあってもなにもないけど)花丸推しである。きびなごと小エビのから揚げなんてものもあったけど、何しろべらぼうに腹が減っていたので丼ものを食べる。これをビールで流し込む。あのプラスチック容器に入れられたビールの特別感って何なんだろう? とにかくそれは港という場所に合っている。味は正直忘れた。喉を通るビールの味しか覚えていない。

 それから沼津バーガーで深海魚バーガーを頂く。まぁ、これはただの白身魚のフライである。中身はメギスという深海魚だそうだが、メニューにぎっしり身の詰まった白身魚ですと書いてある通り白身魚。そこに千切りされたキャベツとベジタブルソース。野菜ジュースは少し水っぽく、パンはカリッとして上手く焼けているけど、うん、まぁまぁという感じ。予想していた通りの味。

 それから夕方になると磯丸でマグロもの六点と磯丸三点を食べる。回らない寿司屋。厨房は女性が仕切っていて、まだ客が来るか来ないかの時間で何となくのんびりした空気が漂っている。まぁ、ただやっぱり身が蕩けるくらい旨い。「うまー……」と言葉が続かなくなる。舌に蕩ける旨みで自然と肩が降りる。でもどうなんだろう? シャリが崩れたりしたから玄人の人はあまり好まないのかもしれない。私は今食べているのが何かというのもわからなかったからね。

 続いていけ丸。ここでも深海魚が食べられるというので迷わずいただく。カナド、ニギス、アカザエビ。腰があるというか、しつこく旨みが残る。噛み応えがあって、食べ終えたときふぅと息を吐く感じである。しめ鯖、これは磯の香りが残っている。醤油を多めに付けるくらいでちょうどいいくらい。富士山サーモン、味がすっきりとしていて食べやすい。

 これからビールを注文。なんてったって、メヒカリのから揚げを食べるのだから。

 これは外がカリッと揚げられて中身がぎっしり詰まっている。じゅわっと溢れ出す湯気を浴びながらビールを流し込む。もう何も言えないくらい最高である。俺の人生に何が起こってるんだ? ってくらいに。アナゴは少し脂っぽいというか、たれが濃いきらいがしたけど、これは逆にビールに合う。甘エビや他のものも何点か注文した気がするけどもう覚えていない。そんなことより目の前のビールである。

 ここではカウンター席の前に大きな水槽があってエビやらアジやらが泳いでいる。これをさばいて調理するのだろうか? 残念ながら、目の前の調理人は鮮やかな手つきでレモンを切っていくばかりだった。首に大きなやけどの跡がある、なかなか実直そうな青年。

 

 ベンチに座りながら冷たい静岡茶なんか飲んでいると、時間なんて概念はさらさらと流されていく。そこには色々な音がある。吹き抜ける風は爽やかで、晴天の空を祝福するように流れていく。大道芸をやるお兄さんの声が遠くから聞こえ、ときどき笑い声が響く。空にはトンビ、カモメ。釣り人、観光客。ここに腰を据えるもの、しばしの休息を求めるもの……。

 ここでは誰も私のことなんか知らない。それでいて賑やかで、大きな自然がある。それが一番心地良い。

 

 

 

 ところで誰にでも第六感というものがある。それは嫌な予感とか、一目でこの人と結婚するんだわってわかったの、なんてしみったれた嗅覚のことではない。いわば歯車が回ってしまった瞬間を身で感じることだ。

 東京に一泊し、沼津に向かう途中熱海に降り立った。熱海。素通りするには惜しい場所だ。

長い坂道と、昔ながらの街並み。路頭で蒸される温泉饅頭の匂い。道は細く、バラバラに分かれていく。駅からの道は下り坂だ。道が開けると遠くに海が見える。私たちが向かう場所は海以外になく、それ以外に求めるものもない。

 沼津に向かう電車は八時三十二分。私が着いたのは八時と少し前というところだった。足湯につかりながらその電車を待っていたのだけれど、やっぱり熱海の街を少しでいいから探索してみたくなった――これがいけなかった。かちり、と歯車は逆方向に回った。

 まず観光客が多くなり始める境目、これが八時三十二分の電車だった。足湯につかっているとき、人で埋まっていないのをどうして不思議に思わなかったのだろう? 不思議に思うわけない。そんなものだと思っていたのだから。わざわざ駅前の足湯につかってぼうっと空を眺めているのなんて自分くらいだと思っていた。でも他の人々には友人がいる。恋人がいる。家族がいる。八時三十二分の電車に乗り損ねて戻ってくると、もう足湯は人の生足で埋まっていた。熱海を行き交う人もぐっと一段腰を伸ばしたように多くなった。ろくな写真が撮れなくなるくらいに。

 それから沼津。これはまったく自分の無計画性が悪いことだけど、じつは沼津港には二回行くことになった。ただ単に直近で来るバスが沼津行きだったからそれに乗ったわけだが、三食丼を食べ終わるとこれは淡島に行くべきだったなと思った。あまりに晴れているのだ。天気予報だと雨が近づいてくる日程のはずだった。けど晴れている。今からでも淡島だ、そう思った。でもまぁ今から思えば当然のことだけど、戻ってきたときには淡島行きのバスは一度待っただけでは乗れないくらい人が多くなっていた。時間は十一時前後。やれやれ、と私は思う。今日はもうどうしようもないな、と。

 私はあのお婆ちゃんに本当は午前中に来ていたんだよと言いたかった。でもそれを言ってどうなるのだ? 「じゃあどうして乗らなかったんだい?」「いや、急に淡島に行きたくなりまして……」「もう戻ってきたのかい?」「いや、それが結局行かなかったんですよ……」そんなグダグダした会話に何の意味があるだろう? あるいは、こうしてグダグダしたことを考えて無口になるのはコミュ障の典型なのかもしれない。

 沼津港の良さは書いたとおりだけど、やはり旅には計画性が必要なのだと思う。次の日は曇り。晴れ間が見えているだけまだマジという天気だったのだから。

 やはりあの電車に乗るべきだったんだ。そういう思いはずっと付いて回った。あの電車に乗っていれば次のバスで淡島に行って曇りなき富士山を見、彼女らの風景をイメージすることができただろうに。それは感覚ではなく確かな実感としてこん、と頭を打つ。あれがいけなかったんだ。やっぱり昨日行くべきだったんだ。

 もちろん、そんなことを思ってもしょうがないのだけれど。

 規則正しい生活だけが自慢なので三島の『東横イン』にて十時就寝し(予約できたのがそこしかなかった)、朝の五時半に目覚める。シャワーを浴び、ケチな朝食を食べ、あわしまマリンパークへと向かう。九時半出航と知りながら。

 どうしてそんなに朝早くホテルを出る必要があるのだろう? と思いながら外へ出る。もちろん、七時半に伊豆長岡に着いたところでやることなんてない。そこには二年生のパネルがあり、のっぽぱんがあり、ちょっとしたグッズが売っている。ラッピングバスだってもう来ている。でもみとしーも淡島パークもまだ寝ざめていない時間である。そのバスに乗りはしたけれど(三年生がやけに饅頭を推していたのが個人的なツボだった)、途中で思い直して温泉街(だったかな? もう記憶が薄れている)というバス停で降りた。まぁ、こんなに時間が余っているんだし歩くのも悪くないだろうということだ。

 歩くのは悪くない。そこが知らない土地であるなら。

 温泉街には温泉街らしい空気が流れている。色づく始めた山々に囲まれ、瓦屋根の家をぽつぽつと過ぎていく。葉は緑だけじゃない。濃いも薄いもあり、黄色づいているものや蒼さを宿しているものがある。山というものがカラフルで、決して木と葉の集合体でないことがわかる。道は上りになり、民家もどんどん少なくなっていく。過ぎていく車は海を目指している。そこの目的は様々だろう。釣りをするものや、同じようにあわしまを目指しているものもいるだろう。あるいは、ここに住んでいる人も。実家に帰省している家族かもしれない。もちろんそんなことはわからない。結局のところ、私は妄想するのが好きなのだ。それは知らない土地だからこそ勝手にできる妄想なのだ。

 でも、ずっと歩いていると思考がクリアになっていく。本当に頭が覚めている状態というのは、何も考えていない状態なんだと思うようになる。やっぱりバックの荷物をロッカーに入れるべきだったな、スニーカーなんかじゃなくランニングシューズがよかった……そんなこともだんだん思わなくなる。二つ目の信号を右という看板を時々恨む。そもそも信号自体どこにも見れないじゃないか。歩く歩く歩く……。

 何だかこのままどこにも行けなくなるんじゃないかな、とふと思い始める。何が思考がクリアだよと毒づきたくなる。道は上りだし、そもそもあわしまに行く前からこんなに疲れてどうすんだよと思う。時間は意外なほど速く過ぎていく。それでも足だけは止められない。こういうのは一度止まるとダメなのだ。三十分歩いて五分休憩したら、次に十五分歩いて十分休憩するようになる。十分歩いてもうどうでもいいやと考えるようになる。次にくるバスが来るまで四十分待つようになる。

 そんな経験を一度したことがある。これまた無計画で福島にある五色沼に行こうとした。最寄りは猪苗代という駅。まぁ、歩いて行けるだろうという気持ちで駅前にでている(だがそこは駅前と言える場所ではない。駅前というのはエスパルがある場所なのだ)看板を信じて歩いて行った。歩いて歩いて歩いて、山を一つ越えた。それでもまだ着かない。一時間歩いてようやく出た看板に五色沼まであと十キロと出る。まだ山の中。私はあと十キロか! とジャンキーみたいなことを口にする。それがもうという意味なのか、まだという意味なのか、自分にもわからない。とにかくまた歩いた。歩くしかなかった。でも途中で足が金属の棒のようになり、残り四キロというところで死を選んだ。バックパッカーにとって、立ち止まるという選択肢は死を意味する。バス停近くの道路に腰掛け(そこにはベンチすらない)、帰りのバスを四十分間待ち続けた。今から思えば、四十分でバスが来ただけまだ幸運だった。

 そんな記憶が蘇る。俺はまたあんな目にあうんじゃないかと思い始める。どこにも行けず、何も出来ない男。自分の足にすら言うことを聞いてもらえず、情けなく座り込んでしまう男。

 だけど旧三津坂隧道に入ると別の世界が道を開く。そこに響いた鳥の声は上手く表現できないことの一つだ。

 そのトンネルを抜けると遠くに海が見える。あぁ、これでもう大丈夫だと少なからずほっとする。目的地が見えれば、不安になることは何もない。

 淡島は非常に小さい島だ。島の前面には青いプレートに白い文字で『あ わ し ま』と書いてある。それをチャーミングと言えばいいのか、雰囲気殺しと言えばいいのかわからない。とにかく一目で、あぁ、あれが淡島ねとわかる。

 着いたのは八時三十分で、歩いたのは一時間かからないというところだった。近くの釣部でただじっと足を伸ばして座り、海を眺めていた。富士山は見えない。シュッという釣り糸がなびく音が繰り返される。釣り具を持っていないのは一人だけ。でも、異物感はない。おばちゃんが「駐車代ちょうだい。四百円」と言う。車じゃないんです、歩いてきました。へぇ、どこに行くの? あわしまです。そう……。

 ビールが飲めればな、と思う。他の釣り人はみんな(子供を除いて)ビールを片手に釣り糸を垂らしている。私は自販機で買った缶コーヒーでちびちびやっている。水色のムカデみたいな虫が近くにやってくる。けど、どちらかと言えば臆病な虫だった。少し手を近づけただけでかさかさと防波堤の影に隠れてしまう。もちろん、触りたいなんて思わないけど。

息を深く吐く。やれやれ、このままあわしまなんて行かなくてもいいかななんて思ってしまう。私が求めているのは刺激か、日常を忘れられるくらいリラックスしたかったのか、どちらかわからなくなってくる。あるいは、どちらともか――。

 

あわしま水族館は地元で取れる魚を何となく展示してみましたという地方の水族館みたいだった。まぁ、その通りかもしれない。あまり立ち止まって覗きこもうという魚はいなかった。

 イルカショーはいささか気の抜けた炭酸みたいなショーをしている。ミスが多く、あまりイルカと息が合っていないような印象がある。イルカがミスしても飼育員の方は、まぁしょうがないかという感じでなだめている。頑張っているけど、練習時間が短いのか上手く芸を覚えきれていない。観客もまぁ別にいいんじゃないという目で見ている。これが人間のサーカスショーだったらフライパンでも投げていることだろう(そんなことをする人にお目にかかったことはないけど)。

 ただカエル館はなかなか良かった。私が行ったときはナイトショーというのをしていて、蛙の時間に合わせて部屋を暗くしている。入口で懐中電灯を貰い、水槽を照らす。どこだ? と探さなければ見つけられないカエルもいるし、一瞬光を当てただけでその存在にぞっとしてしまうくらいのカエルもいる。なだらかな色合いの小さなカエルもいるし、蛇みたいなカエルもいる。手に取ってみたいカエルもいれば、こんなやつが足元にいたら失禁するなというカエルもいる。光を向ける、ぱくぱくえらを動かしている。光を向ける。やはりぱくぱくえらを動かしている。彼らは全く微動だにせず、イラついた顔を見せず、ただぱくぱくえらを動かしている。もちろん動き回り、水槽にへばり付くカエルだっているわけだけど、私としてはずっと平然としてぱくぱく口を動かしているカエルを見るのが楽しかった。何を考えているかわからないし、わからないからこそクールだ。

 でも淡島の魅力は一周することにあるのだろうと思う。さっきも書いたけど、ここは非常に小さな島だ。一周するのに三十分とかからないかもしれない。ただ何となくあまり早急に過ぎたくない空気がひっそりと流れている。獅子岩は牙を向ける獅子の形をしているが、どことなく虚しい。女の石像と、岩壁を打ち付ける波の音。過ぎた時間を憂うイエスタデーの石碑。ハクセキレイが道案内するように先を行き、一定の感覚でまた一定の距離を飛ぶ。富士山は起き抜けでまだカーテンを開けていないような姿でうっすら見え始める。今日は仕事をしようかしまいか迷っている感じだ。

 でも、やはりその日は休息日だった。雲行きが変わり、波音は激しさを増す。富士山はもう見る影もない。真っ白な頭で行ったら、ここから富士山が見えますよなんて言われても何のことかわかりはしないだろう。そこには富士山という概念すらない。やっぱり昨日行っておくべきだったんだよ、と私は思う。

 

 ここで食べたAqours丼は最高に旨い(もちろんビールも)。姫サザエ、イカ、鰺、しらす、まぐろ、サーモン、ネギトロ、桜エビ、タマゴ(桜エビが桜内だとすると、他はいったいどういう配分なんだろう?)。味噌汁が薄いと感じるのはやはり東北人だからだろうか? 淡島神社から戻ってきてからからに乾いた喉を、ビール、ビール、ビール。お冷を我慢したかいがあったというものだ。中ジョッキで700円と少し高めだが、なにはともあれビールがなければ始まらない。もしあわしまマリンパーク離宮を訪れるのなら、淡島神社に登った後でここのビールを飲むべきである。くたくたになった後のビールというのは、やはり最高の味がするものだから。

 

 いささか優等生的にその後はみとしーに行った。さすがに三件目の水族館だし、GWが終わりに近づいてきたなという憂鬱感でそれほど長くは滞在しなかった。セイウチを見て、何とかザメを触って、フクロウと何秒か目を合わせ、ここのイルカショーを見た。

 ここのイルカショーはなかなか息があっていて見ていて思わず拍手をしてしまうくらいきりっと締まっていた。失敗もなんだかユーモアのようでわざとやっていたのかもしれないと思うくらいだ。見ているこっちはあまり緊張を強いらず、それでいて一つ一つの技が成功するたびに歓声が上がる。イルカのジャンプ、イルカと共に滑走するインストラクター。そこには信頼関係があり、主と従の永続性がある。クライマックスに向かってどんどん技は難しくなっていくし、それをばっちりと決めていく。イルカにも後輩先輩があり、後輩の方はお茶目で技は決められるんだけどいくつかすっとばしてしまう傾向があるらしかった。それを先輩の方がしっかり取り戻す。そこには乱れもなく、頼りになる風格さえ漂っている。それに比べて俺ときたら……なんて思う余地がないくらいのエリート・ドルフィンである。

 

 

 

 旅の終わりにというほど、大した話でないもので締める。

 新幹線で帰るころにはもうしんどい気持ちが募っていて、東京駅に着いてもその人の多さにイライラした。駅に集まる鳩なんか見ると「なに平和ぶってんだよ」と思う。何しろGWなわけだから多くの人が何かしらの困惑と苛立ちを抱えていた。改札に入るとそういう渦の中に巻き込まれている気がして、自然とむかむかとした気持ちがせり上がってくる。

 でも、ここに来たときは反対に解放感すら感じていた。

 行きは電車で来た。郡山に着くまでそこの山は私を追いかけ、ニヤニヤと笑っていた。それを過ぎても「また戻ってくるだろ」という顔で山は見送ることもしない。私は逃げているわけではない。でも、そこに取り込まれる自分をいうものを捨て去ることはできない。

 那須塩原あたりまで来ると、もう山に囲まれているという感じはない。少なくとも、山形や福島にあるようないやに高く、私を取り囲むような姿勢を見せる山は見当たらない。そして東京に向かうまで、私は一人の友達のことを思い出していた。東京まで電車で行くのは高校生以来だ。そして卒業旅行で、その友達と一緒に電車で東京まで行った。

 ときどきその友達のことを考える。もう会わないだろうなという友達。でも本当に仲が良かった友達。

 東京に着くと、なぜだかそうした失った友達とすれ違うんじゃないかなという気がした。確率的に言えば東北にいた方が高いわけだけど、でもなぜだか東京の人混みにいるとそういう気になってくる。何だか会いそうな気がするな、どこかにいる気がするな。まぁ、そういうのはある種の幻想に憧れる気持ちなんだろうけど。でも、もしそうなったら結構楽しいだろうなという気がしてくる。

 沼津港から三島に戻り、チェックインまで近くの公園でぼんやりしていた。川辺に電灯の光が滲んでいる。誰もいない公園。うっすらと寂しさが漂い、しんと澄んだ空気が何か満たされない気持ちにさせる。ジャングルジム。手に残るあの懐かしき鉄の匂い! 共有できる人はどこにもいない。私は繋がれたはずの誰かをまた失っているんだろうなと思う。でも結局こういう人間なんだ。帰りの新幹線では何も思わない。達成感と、身体に圧し掛かる疲れだけが尾を引いている。とりあえず帰って、それから寝るだけだと。