3.1.4 心が還る場所、けものフレンズ

 

 

ぼくのフレンド

ぼくのフレンド

 擦り切れた感受性に栄養を与え、太陽の光を思い出させてくれたのは他でもないこのけものフレンズだった。これでいいんだよな。59点なら59点。67点なら67点。皮肉めいたことも言う必要ない。言葉のまま受け止め、心の赴くままに生きる。そんな世界が――もしかしたらそんな世界に生きられるかもしれないと望むことが――どんなに素敵なことかすっかり忘れていた。テレビの向こうにある眩いほどの優しさや純粋さの粒子を浴びて浄化される魂。本当にそんな世界を信じた。心の底から、僕たちはこれでいいんだよなと思っていた。


 けものフレンズを語る上で外せないのはみゆはんの『僕のフレンド』だろう。瑞々しい青春のギター・リフ。疾走感に混じる切なさ。宝石のような言葉たち。哀愁も希望も慈しみも贈り物みたいに詰まっているハスキー・ボイス。僕らがその赤いリボンを解いて中身を取り出すとき、わけもなく郷愁が高ぶり、胸の奥底に沈む脆い何かを柔く刺激する。思い出やら、大切にしていたはずの誓いやら、失ってしまったと思っていた純真さやらを。友人の声、校舎の影、寂寞を塗りたくったような夕映え。それでも前を向いていようと思えていたこと。こんな僕でもかつては友達との親密な時間があった。いろんなことを話し合い、いろんなものを請け負い、いろんなものを明け渡した。依存を繰り返したこともあったし、心からリラックスして笑い合えたこともあった。同じ音楽を聴き、同じ話題で盛り上がり、同じ道を自転車で走った。あのひどく暗く、どうしようもなく独りぼっちで、自尊心と自己顕示欲に翻弄され、孤独と空しさを味のなくなったガムみたいにかみ続けた10代を何とか生きて行けたのはそれでも独りではなかったからだ。数少ない友人と過ごしたその時間がなければ、僕はもっと前に駄目になっていただろう。


 けものフレンズに出会ったのは社会人になってからだった。二人の旅路と優しい世界に、『僕のフレンド』が流れるとき、頭の片隅にある記憶がひどく小さく光る。僕はそれを思い出すことができる。そこにあった友情と親愛を。画面の向こうでは永遠に終わらない旅路が、誰にでも開かれた世界が果てなく続いている。涙が出る。無性に、涙腺が、独立器官のように。
 2は見ていない。