3.1.3 明日という地獄が大口広げて待ち構えている

 

 

 

 休日前夜はいつも死んでいる。聖母の振りをした斜陽が部屋の片隅に堕ち、近所の子供たちの笑い声が遠ざかり、宵の空に控えめな星が灯り始めるころ、僕の心は無慈悲かつ決定的に死んでいる。応急処置は酒。逃げ籠もるは布団の中。明けない夜はないなんて、ポジティブな意味で使ったことがない。許可なしで昇っていく太陽に唾を吐きかけたい。


 あと一年、また一年……無限に循環するサイクル。無事にやり過ごせる気がしない。社会的営みを無視できれば世話ないだろう。何が正しいのかなんてもちろんわからないし、いまよりもっとひどい状態になっていたかもしれない。でも、この先の未来に自信が持てない。もっと身の丈に合った生き方があったはずじゃないか。確かなのは、この吐き気を伴った憂鬱を僕は繰り返すのだろうということ。休日前夜がやってくるたびに、定期的にやってくる薬の副作用のようにして。


 world's end girlfriendの『The Lie Lay Land』。悲痛の叫び。狂った秩序。電子的慟哭。助けてぇ。脳にリフレインする言葉。助けてぇ、助けてぇ、助けてぇ……。


 嘘にまみれた世界は美しい。誰もが自分を誠実だと心から言い張り、カオスを構築していく善良な民の中で、一人誠実の意味を知り、静かに憤怒の炎を蓄積していく少女の瞳は闇の中で比類のない美しさを宿している。べったりと塗りたくられた夜。吐き散らかされた星々。蜉蝣色のドレスを着た少女が道を逸れる。風船が赴く善良な世界に背を向け、逆風にその短い髪を靡かせて。


 命を賛美することは難しい。それ自体では何の意味も持たないからだ。僕らは役割を背負い、何てことのない顔でそれをこなしていかなくてはいけない。終わりのない苦痛。摩耗する精神。道を逸れるのは簡単だ。だが、それは社会的な死を意味する。肉体的な死よりも重い大罪。すでに拘束されることに依存し、社会的規範に洗脳されている人間にとっては。ならいっそ肉体ごと……そう思ってしまう夜が永遠に続く。自ら終わらせない限りは。


 まったくこんな音楽聴いていちゃいけない、と思う。自ら鬱になることを推奨するような音楽は。でも、僕にとっての共鳴はここに響いていて、正しさと肯定感もここにある。薬の副作用は劇物でもって中和しなくてはならない。

 

 ※僕がこのアルバムに興味を持ったのはアマゾンのレビューにあったひどく独我的で叙情的な文章だった。いまではそのレビューは消されている。悲しい。僕はその方の文章がとても好きだった。