3.1.19 脳みそから酸素が漏れ続けている 

 

 『チェーンソーマン』というマンガが面白い。自分でもこんなタイトルからチェーンソーマンの話をするとは思っていなかった。大体において何かを綴ろうとするとき頭の中で思い描いていたものが(今日でいえば風呂に入っているときに何かしらのテーマを決めていて、あらすじまで完成していたのだが)真っ白なディスプレイを目の前にするとすっかりと忘れてしまって、とりあえずチェ-ンソーマンのことを書いている。というより、チェーンソーマンに付随する個人的なあれこれを。
 

 といっても、いざチェーンソーマンのことを書こうと思うと、一体俺はチェーンソーマンの何を書こうとしているのだろうという気持ちになる。正直に言えば特に書くことがない。問題というのはそのことなのだ。そのマンガが面白いと思う。でも、何が面白いのか言語化できない。そんなことをしなくても面白ければ良いじゃんと思う。でも、そうじゃない。そう言い切るだけの熱意がない。そして、もっと若い頃に――というか学生の頃に出会っていたらバイブル的な、何度も読み返して、個人的なシーンをいつまでも胸に抱えていて、チェーンソーマンと生きていくことになっていただろう。そういう感覚だけが残っていて、だから面白いと思っても素直に楽しめない自分がいる。
 

 急展開、急発進。そして散りばめられたエモーショナル。欠けたガラスの表面が鋭く光るみたいに、時々目を奪われ――失明してしまいたくなるほど魅入ってしまいたくなる場面がコロリと入る。例えばレゼの死に際。あるいは姫野先輩の差し出した煙草。聞こえますかウボーさん。これが俺たちからあなたに向けたレクイエムです……。
 

 おそらく最後まで読み続けるであろうが、いつも気にかかるのはこの心はもうすっかり枯れてしまったのではないかということ。年取ったオタクはただの社会不適合者だ。