3.5.23 路地裏でキラリと光る宝石の欠片のような文章 

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 ポール・オースターの小説は日常の根底を覆すようなストーリー・テリングが多く、村上春樹の井戸的深淵に似たようなところがある。私たちが何の疑いも挟まず信じ込んでいる時間の進み、社会的な規範、揺るがぬ歴史的土台が、物語という非日常的サンプルによって覆され、私たちの心に問いかけを残す。私はそれを『ダンス・ダンス・ダンス』や、『ねじまき鳥クロニカル』、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』に見た。しかし、今日はポール・オースターについて(便宜的に『オラクル・ナイト』を取り上げて)綴りたい。
 

 私の文学的両親は上述した村上春樹の小説にあるせいで(オースターの小説が村上春樹に似ていると思っているせいで)、物語自体の仕掛けや驚きはそれほど大きくなかった。オースターの小説は「私が好きそうな小説」であり、「私の性癖に沿った作品」であるという感覚で読んでいる。私の根本を塗り替えてしまうような作品ではないけれど、オースターの小説には路地裏でキラリと光る宝石の欠片のような文章が随所に散りばめられている。思わずノートにメモしてしまいたくなるような。
 

 『オラクル・ナイト』については掴みから最高だ。長年病気だった主人公が、体力を取り戻すために散歩を始める。初めは十分ほどで息が切れるほどだったが、徐々にそれは一時間に、一時間が二時間になっていく。『肺は空気を求めて喘ぎ、肌はつねに汗にまみれ、私は誰かの夢のなかの登場人物みたいにゆるゆる進みながら、世界が邁進していくのを眺め、自分がかつてこの周りの人々と同じようにふるまっていたことに驚嘆していた。人々はつねに猛然と動き、いつもどこかからどこかへ向かっていて、いつも予定より遅れていて、日が沈む前にあと九つ用事を片付けようと飛び回っていた。私にはもうそういうゲームを演じる力はない。私はいまや欠陥品だった。機能不全のパーツと、神経学上の謎との塊だった。みんなが狂おしく稼いだり散財したりするのを見ても、何ら気を惹かれなかった。面白半分にふたたび煙草を喫いはじめ、エアコンの効いたコーヒーショップで午後半日を潰し、レモネードやグリルドチーズ・サンドを注文して、周りの会話に耳をそばだて、三つの新聞の全記事を一つずつ読み進んでいった。こうして時が過ぎた』
 

 この小説に限らず、ポール・オースターの小説は下手すれば一ページ毎に付箋を付け、後々読み返したくなる文章がたくさんある。それはニューヨークという特殊な土地を舞台にしていることも当然影響しているだろう。夢とガラクタと偽りが入り交じった空気のなか――ゴミ溜めから夜空の星を眺めるように、そこには皮肉と救いが、無関心と愛が、素っ気なさと優しさが絶妙に織り込まれている。ユニークで唯一な文章、そして奇妙に移ろう物語。個人的にポール・オースター村上春樹が同時代作家であるということが偶然が引き起こした一つの謎解きのように思える。