2.12.18 田中ヤコブ『おさきにどうぞ』について 

 

 

おさきにどうぞ

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 『とどのつまりずっと馬鹿にされながら生きていくしかないんだから』


 雑草の匂いを含んだ風とともに流れてくるこのフレーズ。いまの自分の心情にあまりにマッチしていて、すんなりと胸の奥に入り込んでしまう。それが良いことなのかどうかわからない(おそらく良いことではないだろう)。でも、田中ヤコブという歌手が生み出すフレーズには、柔らかなネガティブ、弱い雨と仄かな日脚が共存しているかのような心地よさがあるのもまた事実だ。『言った通りに動く機械になれたのに中途半端に伝えようとして本当にすみません』『いじわるな人に変なヤツと思われてそうだよ。やられそうな君の歌だよ』こういったフレーズに共感できる人がどれだけいるだろう? 一見弱気で、腰砕けの曲のようにも聞こえる。共感できない人にとっては、世間と足並みを揃えられない中年のフォークソングでしかないだろう。けど、そうじゃない。田中ヤコブの歌が雨上がりの滴のように輝くのは、その曲調の間にごつっと引っかかる反骨精神、それじゃしょうがねぇかとあぜ道に寝っ転がって空を見上げるような気楽さにある。


 田中ヤコブは天才だ。ゆったりと間延びした歌い方の中に、鋭い刃物のようなフレーズをこともなげに忍び込ませる。一聴して雰囲気に魅せられ、最聴を繰り返すことでその深みにはまっていく。でも、その内容はどこまでも僕らに寄り添っていて、味方でいてくれる。きっとこの人も人並みの苦労を背負ってきた人なのだろう。社会、世間、派閥、責任。そんなもの見たくもないのに、自分の人生の中に含めたくもないのに、僕らは好むと好まずにかかわらずそうしたものに絡め取られ、時には身動きすらできなくなってしまう。どうしてだろう? どうしてこんなものを背負っているのだろう? そこに何が入っているのかわからないがとにかく重く、どす黒くさえある。降ろすことが必要なのだ。何より、その存在に気付けないことだってある。このアルバムは僕に自由の香りを思い出させてくれた。まぁ、何だっていいじゃないか。出社中、このアルバムをカー・ステレオで流しながらそう思う。

 

 『とどのつまりずっと馬鹿にされながら生きていくしかないんだから』こういうフレーズを聴きながら自分を慰めるのもどうなんだろうなぁ……。気がついたら口ずさんでいる。冬が来て、そのうち春が来る。