3.6.3 あの頃の僕らじゃない僕ら 

 西日が沈んでいく様をジムのランニングマシーンを歩きながら眺めていた。もうあの頃の僕じゃないんだ、と思った。

 あれだけジムという存在を毛嫌いしていたのに、今となっては週2、あるいはそれ以上のペースで通っている。健康になりたいわけではなかった。運動不足を痛感した経験もない。鬱なら鬱でいいし、ネガティブ・シンキングは肌の角質にがっちりと根を張っているニキビみたいに消えてなくならない。でも、それはそれとして運動をすることは良いことだなんて思っている(悪いことなわけはない)。少なくとも、仕事終わりに自分の心を落ち着かせる一つの手段ではある。


 色々なことがあり、やがてまた夏を迎えようとしている。環境も変わり、憂鬱は形を変え、おそらくは少しずつ変わりつつある自分が目の前に立っており、僕はそれをどう処理して良いのかわからないまま、とりあえずそれが自分だからその自分のまま何とか日々をやり過ごしている。無力感や喪失感、そんなものがぽっと目の前を通り過ぎながらも、何とか。自分の哲学なんてものはとっくの昔からわからなくなっている。汚くなっていく自分を止められない。本当は何もかもどうでもいいのかもしれないし、そうではないから時折もがくようなことをしているのかもしれない。きっと世間から見れば大人なのだろうが、その外見に適した行動など夢のまた夢。子供のままでいい。でも、もう子供ではない。青年でもない。思春期は指の間からすり抜け、抜け殻のような人間一人が取り残された。何かしらの手段を講じて、それを取り戻そうとか別の何かになろうとかしている。


 『imaginary affair』を聴いていた。斜陽は潰えて群青色にぼやけた空が夜に滲んでいく。もうあの頃の僕じゃないんだ、と僕は思った。