3.1.12 ただただ適当に生きていたいだけの人生

 鶏口となるも牛後となるなかれとはよく言ったもので、身の丈に合わない仕事を引き受け、ただただ消耗していく人生なら、世間の地位や優劣など気にせず自分のやれることをするべきだと悟った。俺にできないことで他人のできることなんて星の数ほどある。とっととネクタイを脱ぎ捨て、セールで買ったスーツなんかと一緒にゴミ焼却炉にぶちこみたい気持ちで一杯である。


 地獄とはそれでも続く人生のことだ。自分の社会不適合生を知り、ずるずると堕ちていく人間性を自覚しながらも爪を引っかける壁も見付けられず落下のスピードを緩められない。ただただ楽をしたい。他人の迷惑など気にかける余裕もない。自分のことですらまともにできないのに、他人の仕事なんてできるはずもない。


 こんなときに思い出すのは不思議なもので、『月曜日のたわわ』の冒頭シーンだったりする。なぜそんなものが頭に残っているのだろう。主人公?のサラリーマンがプラットフォームで独りため息をつくモノローグ。「他人に迷惑をかけないようにするより、ただただ自分が楽になれる道を選びたい」


 彼は月曜日の憂鬱を払拭してくれる笑顔に出会えたわけだが、こちらはただ人嫌いが加速していく。そういうやつはかっこつけているだけだと。山奥でFAX一枚で済む仕事を選ぶか、そうでなければ何か秀でた才能でもあるのかと。ないんだろ? 有吉弘行が言っていた。じゃあ、何とかやっていくしかないじゃない。


 そうなんだけどさ……。俺にはできないんだよ。頑張ろうという気もなく、自分で自分の惨めさを慰める日々。こういうのを屑というんだろうな。何とかしたいなんて本当の意味では思っていない。ただただ適当にやり過ごし、好きなだけ寝て、好きなだけ怠惰を貪りたいだけ。俺に出来るのは牛の糞となって社会の肥やしになるくらいだ。あいつよりはましだからと、見下すのにちょうど良い物体。


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