3.1.16 感覚の記憶

 

 

 

 昔好きだったものへの熱意が冷めているのはもちろん、新しいものに対しても上手く感情を乗せられなくて困っている。俺ってこういう展開好きだったよな、昔だったらこのシーンだけで何杯も飯食えたはずなんだけどな……何かの作品に触れて面白いとは思うけれど、本当の意味で心を揺さぶられることがない。推せるカップリング、この胸に釘を刺すはずだった言葉たち。全てが隙間風のようにやってきては、気のせいだったのかと思うほどあっという間に過ぎていく。


 こういうのを老いというのかわからない。現在、25歳。『なんで生きてるかわからない人和泉澄』さん状態。感覚の記憶だけはひっしりと残っているからなお厄介だ。あの心の高ぶりだけがリアルで、そのほかのものが全て他人事みたくなっている。追体験のために生き、空疎になった心を自覚するだけの悪循環。どこで誰が死のうと、理不尽な凶悪な事件に世間が踊らされようと、俺の「ここ」にはきっと何も響かないんじゃないかと思ってしまう。だったら真面目に仕事に打ち込めば良いのに。でも、できない。仕事をするようになって思ったことだが、俺は本当に仕事が出来ない。コンビニのアルバイトでもよく失敗をし、ちゃんと反省できず、おんなじ過ちを何回も繰り返していた。そのくせ妙に楽観主義で、適当さを自分で容認していた。屑だ。結局誰かが何とかしてくれるだろうという甘えがある、社会の一員だという意識が全くない。社会不適合者、うつ病患者、ADHD発達障害者。「お好きなものお一つどうぞ」って感じ。身の丈に合った仕事がしたい。もっとシンプルで、人と接する機会が少なくて、猿でも出来るような仕事……まぁ、こんなこと夢想しているようじゃどこに行っても同じだよ、といわれるのもわかる。わかっていながら、現状で頑張る気がないただの屑。もういや。死ぬまで布団にくるまって世間から逃げ続けることに何のためらいもない。飽きたら近所のブランコにでも乗って、世界を揺らす。


 どうやって生きていったら良いかわからない。死に方なんてもっとわからない。


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