3.5.21 そういう映画 

 

 

 

 雨が降りだした。例年よりもいくらか早い梅雨入りだ。今日も今日とて人の悪意に敏感で、ふて腐れきった心を抱えて生きている。馬鹿で無垢で何も知らないままでいたい。世間から汚されることを厭う箱入り娘みたいに、お座敷から出たことのない真っ白な両足を抱えて、ただぼんやりと外の雨を眺めていたい。


 どういうわけか、『どうしようもない恋の唄』という映画を思い出している。アマプラでやっていたものをただ眺めるように見ていただけだが(感受性が擦り切れていると自覚していたから、そのときはあまり真剣に入り込めている感じはしなかった)、このぼんやりと闇の靄がわだかまる金曜日の夜に思い出すにはちょうどいいという気がする。筋としては簡単で、妻に捨てられた男が風俗嬢と同棲するようになり、「普通」のレールから外れていくという物語だ。天真爛漫な表情、あまりに無防備な心、危ういまでの無垢さ。それらに男は惹かれていくわけだけど、同時にそれが厄介事を持ち込む種にもなる。


 こういう映画は見たときはそうでもないと思ったけれど、いつの間にか僕という人間を形成する一つの記憶になっていたりする。上手く説明できる感情ではない。何かはっきりとした結末があるわけじゃないし、幸不幸が重要なお話でもない。一つ一つ場面を説明することができても、説明することによって自分の伝えたい感情から少しずつ遠ざかってしまうような気になる。説明したくないのだ。コントと同じ。面白いと思ったことが重要なのであって、何が面白かったかを説明することはそれほど大切なことではない。


 僕が思い出すのはその風俗嬢(ヒナ)の子供っぽい仕草や笑い方。幼稚だけど人を傷つけない物言い。ただ愛する人を純粋に貪欲に守ろうとする意志、ただその人のためになりたいという想い、眩いほどの優しさ、あるいは、悲しくなるほど優しくあろうともがいている輝き。最後に二人は街を抜け出し(様々な事情で二人はほとんど満身創痍の状態になっている)、初めて立ち寄る土地の日の出に立ち会う。高架橋の上、まるで見えない未来として立ちはだかるような朝日にへたりこみながらも、二人は互いの身体を持ち寄り、寄り添いながら言葉を囁く。
 最後に何と囁いたのか覚えていないところが僕の適当なところだ。何とかなるよとか、そんな感じだったかな……? 僕はその映画を断片的にというより、空気の塊みたいに思い出す。ピンクや、紫に染まった空気の塊の、温度や湿度、感触を思い出すみたいに。このシーン、このシーンというより、その映画の総体がぼんやりとした不確かな映像を伴いながら思い出される。生きること、どうしようもないこと、どうしようもなく生きるということ。生きることって一筋縄ではいかないんだわ……。でもそれを伝えることはもっと難しい。それを物語にすること、物語でしか受け取れない感傷。この映画は僕にとって「そういう映画」だった。
 
 ※いまは『メランコリック』を見ている。これも似たような映画っぽい。年々、映画を見ることに対して時間がかかるようになってしまっている。


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