2.12.23 挨拶を返されなくて、冬

 己の社会不適合性は嫌と云うほど理解しているから今さら文句の付けようなんてないのだけれど、それでもやはり休日に入る前、ひどく消耗させられた日に挨拶を返されないと一丁前に落ち込んでしまう自分がいる。


 パソコンの電源を落とし、鞄を整理する。コートを羽織るために更衣室にいる間、今日は挨拶を返されるだろうかと不安になる。多分、無理だろう。何となくそんな感じがする。今日も見事なコミュ障っぷりを発揮したばかりだったし、誰かに褒められるような仕事をしたわけでもない。自分で掘った穴に自分ではまり、自分の殻を大事にするあまり破り方すら知ろうとしない。案の定、返事は返されない。仕方ないかと思う心半分、やめちまえばいいのにと、やけくそじみた開き直りでしっかりダメージをくらっている心をとぼけさせている。


 僕にはそれができない。堂々とすること。分け隔てなく、リラックスして相手と向き合うこと。そこには三千里ほどの距離があって、飛び越えられない深い溝がある。進んでいるならまだしも、人々が獲得していくまともさからだんだん離れていくような気がする。笑うことに懐疑的だ。談笑、世間話、人を頼ること。彼らは当然のようにそれができるのか? 彼らだって僅かならにでも勇気を振り絞って行っていることなのだろうか? だとしたら、それができない僕と彼らの違いは? 勇気を振り絞れないただの言い訳なのだろうか?


 今となってはよくわからない。ただ確実に言えるのは、僕は普通の人たちが普通にしてきたことをしてこなかったということだ。僕は人間のまねごとをして笑い、仕事をする。やれやれ、そんな意識の人間にどうやってまともになれというのだ? 自分の言葉だってうまく理解できないことが多々あるのに。


 だからせめて挨拶をする。返事はない。やれやれ、冬。


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